コンプレックスが力を奪う
コンプレックスというやつはやっかいだ。
日常生活の中の様々な場面で現れ、心が休まる事が無い。
コンプレックスを持つと人生を消耗する。絶えず人よりまさることが目的になり、
それが達成されないと楽しそうに生きている人が羨ましくなり、嫉妬し、
恨みを持つ。そして孤独になる。今の自分はCPU使用率をコンプレックスで
80%くらい使っちゃってる感じ。頭の動きが悪い
常に何かやらなければならないという焦燥感に駆られて、考える能力が低下する。
若い自分は不安だ。人間関係もうまくやらなきゃ、勉強しなきゃとか、将来は不安
だ貯金しなきゃとか
高学歴のやつは羨ましい。きっと自分のちからを信じて生きて行けるんだと思う。
実際人生に対する余裕っていうの全然そういうのが違うんだよな。おれはできるんだ
という余裕が違う。まぁ対外はどこかでその全能感も薄れていくのだろうけど。
いまさら25歳にもなって学歴云々いってもしょうがないけど、俺みたいな中途半端
な人間には学歴は必要だなと思う。地方でDQNやマイルドヤンキーのような暮らしも
できない。かといって高学歴の世界に入っていけるような出自も無いし実際勉強もで
きないし、忍耐力もない。居場所がない。
いい大学出ても幸せになれるかわからないとかいうけど、学歴はあったほうが
いいにきまってんだよ。いい大学に行かないと人生を謳歌できない。何故か?
選択肢が減るからだ。
ここまで書いて思うのは、物事を考えるのが苦手だ。ってことだ。
自分の考えを断片的にはきだすしかできない。おっ。と思うような
適切な比喩も思い浮かばない。それは才能のもんだいなのだろうか訓練でどうにかなる問題なのだろうか。
勉強もできなけりゃ、人付き合いもできない。 人と違った道に行くような根性や、
才覚もない。そんな人間がコンプレックスを感じても死なずに生きていける道は
あるのだろうか。
無いとは思うし、負けず嫌いで常に負けてるという状態なんで、非常に辛くはある
んだけど、どうにか自分の生き方を探していけたらいいと思う。
正直者は馬鹿を見る
正直者は馬鹿を見るって言葉を思い出したんだが、正直者は馬鹿なんだと思う。
だから馬鹿は馬鹿を見るって当たり前じゃないか。
羨ましい
自分の事が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いでどんだけ嫌いでもまだ足りないくらいなんだよ。俺に容姿があれば、頭が良ければ、学歴があれば、資産があれば、文化的に豊かで
あれば、親に愛されてれば、少し位辛い事があってもそれをたよりにいきていけるんだよきっと。だけど俺には何もないんだよ 年を重ねるごとにそれを得られる可能性も少し
ずつ減ってるきがするんだよ。25才だけど最近10代の時もあまり良い事がなくてだるかったけど以前にもまして体がだるいんだよ 将来の事を考えるだけで頭がいたくなってきて日常の仕事やら生活にてがつかなくなるんだよ どうしようもないんだ。頑張れ努力しろって、自分なりに努力したけどがんばっても人並みに届かないんだよ。頑張り続けなきゃって強迫観念で孤独になるし、自分の無力さに打ちひしがれながら毎日毎日高い理想掲げて生きてかなきゃいけないんだよ。とにかく辛いんだ。限界だ。生きるのは苦しいんだよ。年取ったらもっと苦しくなるんだろ?惰性で生きるしか無いんだろ?え? みんなそうだって?そうかもな。だけど俺が辛い事は何も代わりない。
みんなが羨ましい。誰も彼も羨ましい。
週後半になると、疲れがヤバくなってくる
週後半にもなってくると、仕事の疲れがどっとでてくるわけですが、
その影響はやはり程度の差こそあれ、人付き合いにあるといってみなさん
相違ないと思います。
週の前半、中盤くらいまでは、取り繕って過ごせるのですが、
週の後半くらいになってくると、疲弊してごまかしきれなくなって
コミュニーケーションがちぐはぐになってしまっています。
例えば、週の前半で勢いよくコミュニケーション、創り笑顔等を
していると、その場では人の評価は良くなるのですが、週の後半位になってくると、人と顔を合わせたり、話したりするの
も嫌になってきて、最終的には、人そのものを嫌いになっていく
傾向があります。
私のような、コミュニケーションに難のある人間は、ペース配分を考えてコミュ
ニケーションをしなければならないようです。
でも、よく考えたら基本 週の後半も前半も人好きではありませんでした。人嫌い
です。 自分に自信が持てないから人嫌いなのかもしれません。