認めてもらいたいって気持ちはなくせる
認めてもらいたいって気持ちは自分を認められれば
なくす事が出来るよ。
自分を認めるには、多分他者からみとめられなきゃいけないんだけど、
他者から認められるってことは、自分から他者に働きかけて認めなくちゃ行けない
ってことだと思う。これを通常の人は思春期に行う。
他者を認めるってことの根本には家庭環境、広くいえば社会環境が大きく影響
するんだろう。前までは自分はだめ人間だから少しでも良い人間にならなくちゃ
とか思って自分をすり減らして苦しくなっていた訳だけど、成育過程での習慣
って、どうしようもなく長い期間を経てつくりあげられたものだから、そんな
簡単に変わらんと思えて、自分を認められる様になった。
価値観の狭まっている人間は人から愛情を受け取る事が出来ないし、
自分の場合は小さいときから本嫌いだったから、自分の狭い考えで生きるしか無かった。だからくるしかったんだ。
人生は壮大な暇つぶし
だという事に気づくには時間がかかるって話。
だからもう少し生きてみよう?
楽に怠惰に生きるしかなくなる時が来るから
時に無力感や絶望感が襲ってきても
ただ生きれる様になるから。
それが良いかは別として
生きるか死ぬか、それが問題だ
雪の日に思う事
雪が降ると何かいい思い出とか、やな思い出を思い出す。ってわけじゃないんだけどね。
以前から人生に対する絶望感というか、自分の無能さを心の底から感じ続けていて、
孤独をこじらせていたのだが、近頃その成分が自分の体から薄まってきた様に思うので、少しばかり考察をと述べさせていただきたいと思う。誰かの参考になるといいな。
本を大量に読み、価値観が広がった
もう結論から行くとこれしかない訳だけど、読書の大事さを知った。
例えば、生物学的、社会学的、哲学、思想、心理学、歴史、それらを薄っぺらくした自己啓発 書とか、それらを読みあさり、絶対化して苦しくなっていた自分の価値観を相対化できたんだと思う。人のなかにいてもなぜか緊張する事が少なくなった。過去に起きた悲惨な出来事に比べれば現代は苦しみの形が変わったものの、命の安全という味ではましではないか。とかそう思う様になった。
本から得た知識を実際の行動に移し、行動に移す前よりもうまく物事を
行える様になり、有能感を得られた。
やっぱこれも読書の恩恵だわ。
まあ、具体的な体験としては、コミュニケーションの本などを大量に読み、
実際に行ってみて、相手の反応をみて悪ければ直す。良ければ身になる様に繰り返す。
ほんとうにそれだけ。それだけで人生変わるよ。多分
吉田松陰がいってたじゃん。 思うに人読まず。読んでも行わずみたいな。
読んでやるか、やらないか。そこ大事。
努力の大切さを知った。
努力無くしては何事も成し遂げられない。学校の勉強はできなくて劣等感だらけ
だったけども、25歳くらいになって仕事を頑張り始めてから努力の大切さをしった。
結構やれば出来るじゃん的な気持ちが芽生えてくるもんだよ。一つの事をやってると。
まあ、欲を言うならば、親に努力の大切さを教えてもらいたかったと思う。
結果的に読書礼賛になってしまった。
文化資本の乏しい環境で育った人は本を読む事が好きになる人ってあんまいないんだと思う。基本的に疲れるしね。でも、生きる事は基本的に苦しいから、そんなときに
手を差し伸べてくれる本を見つけておくのはいい事だと思う。
だから、家庭でも、学校でもそういう教育を望むね。うん。運動も大事だけどね
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今日は特にやる事がなかった。
プログラム見てると頭いたくなる。
会社員生活を送っていて思うのだが、やはり
信頼は大事だと思う。信頼のない相手に仕事は
任せられないし、ちょっとした事の約束を
守る事の積み重ねだと思う。でも、成果を
出せ成果を出せっていわれてやる事が多すぎて
約束事を破ってしまう事もあるとは思う。
そこんとこ考えてくれる上司なんている訳が
ない。そんな上司いたらいいね。
自分の職場が離れ小島のようにポツネんと
していて、周りの人の仕事ぶりが見えないの
がいたい。
後、思ったんだが、風邪引いて体調悪いときって
難でもない事がすごく傷ついたりする。生理の時ってこんな感じ
なんだろうか。
逆に、元気なときの煩悩がなくなってすこし集中しやすいという
側面もあるかもしれない。
不安を書いてみる
勝谷さんが、文字にしてみると落ち着くみたいな事を行っていたので、不安に思っている
事を脳内から引きずり出してやろうと思う。
まず、
対人関係における不安
→これを解消するにはなれるしかないのではなかろうか。今田耕司も
コミュニケーションはなれでしかないとはいってる。いってるものの、
根本に「人が好き」って思いが無ければ極める事は難しいのかもしれない。
能力における不安
→能力はあるものと無いものでは天と地ほどの差があると思う。ただ、見た目に
はそう見えてるだけの人でも、単に教育が良かっただけで、自分も自己教育
を行えばそこそこは行けるのではないかという自信はあるが、いささか時間と金が
かかる様に思う。
将来における不安(収入、結婚)等
→現状働いて入るが、生きるためだけの生活になっており、全く人生に熱意が見いだせ
無いため、自分に自信が持てない。という事は必然的に収入が上がる様な仕事に
つけなかったり、結婚相手を見つけるにも苦労すると思う。自分だけのニッチを
苦労しながらでも捜す必要があると思われる。
存在としての不安(アイデンティティー、とか容姿の問題とか)
→まあ、上記における問題はすべてこの問題に帰結すると思う。
解決法は•••やっぱり、対人関係でいやされる事だろうか。たとえば何事かで、成功
体験を積んでいろんな人に認められるとか。
結論として。
不安を解消するには努力しか無い。 以上。
中坊
私には兄が一人いる。
まあ、秀才と行っていいレベルだと思う。
自分はというと、何一つ勉強、スポーツいいところが無かった。
母親が大好きで、いつも認めてもらえなかったのを思い出す。
感情のコントロールがうまくなく、気に入らない事があると、暴力
にはしっていた。なんであんなにくるしかったんだろう?認めてもらいたい
、もっともっとという気持ちがつねにあった気がする。
プラス自分は人の影響を受けすぎる人間で、母親は周りの目を極端に気にする
人間だったから、両方がマイナスに働いて、中学、高校あたりは全く自分を
肯定できず、友達もできず、(悪口とか、誹謗ちゅうしょうが怖くてなにかいわれても
、されても全然やり返せなかったので)、対人恐怖症と超マイナス思考、希死観念に
おそわれた。
今はたくさん本を読むようになったので、孤独感を紛らわせられる様になったが、
本が無ければ、孤独でむなしくて、犯罪者になるか自殺してただろう。
この前、親に「健康な体に生んでもらったんだから感謝しな」、といわれたんだが、
「そもそも生まれてきた事自体感謝してねーよ、糞ばばあ」と中坊みたいな事を
言ってしまった事を思い出したので、書いてみた次第。
不安
自己のアイデンティティに悩むものはその生育環境、社会から影響を受ける。
アイデンティティが確立しない者は、将来の不安にかられる。そして
今に注視できなくなる。できなくなるから現実感がなくなっていく。そのかていで
少しずつおかしくなっていく。